実家は創業昭和4年、 90年続く麹屋

日本の伝統食を守りたい

私の実家は、90年続く麹屋です。父で三代目、歴史ある大手の老舗麹屋さんとは違い、自宅の一角の工房に室(むろ)がある、家族だけで繋いでいる小さな麹屋です。

私は現在、『天のガトショ』をプロデュースしていますが、それらの商品にはすべて、実家の麹屋で作られた麹を使った甘麹を加えています。

私が麹を大切に想う理由

それが、以前は10軒ほどあった地域の麹屋が、今では実家を含めてあと2軒となり、そのうちの1軒も後継されず廃業を決めています。地域を支えてきた室のある麹屋は、町でうちだけということになるのです。

こうなった背景には、高齢化や後継者の問題、食生活の変化も大きな要因としてあります。それは他人事ではなく、私の父も高齢になり、一緒にやってきた母も、自分たちの代で麹屋を辞める心の準備をしていたのです。室に住み着いて活躍してきた菌ちゃんはどうなるの…。そんな思いにかられ、いてもたってもいられませんでした。

小さい頃に他の麹屋さんに連れられついていくと、家に入った瞬間に麹の香りが漂って来て、同じ麹屋さんでも、うちとはどこか微妙に違う麹の香りを、感じ取っていました。

それぞれの麹屋さんの室に住み着く、それぞれの麹菌ちゃんの活躍で麹となって、手作業でお味噌になり、ご近所さんが注文され、お味噌汁で繋がったご近所全体がまるで家族のよう。地域にとっては、唯一無二の麹なのです。

実家の麹屋に訪れた危機

 

私の実家は、90年続く麹屋です。父で三代目、歴史ある大手の老舗麹屋さんとは違い、自宅の一角の工房に室(むろ)がある、家族だけで繋いでいる小さな麹屋です。

それが、以前は地域に10軒ほどあった麹屋が、今では実家を含めてあと2軒となり、そのうちの1軒も廃業を決められています。地域を支えてきた室のある麹屋は、町でうちだけということになるのです。

こうなった背景には、高齢化や後継者の問題、食生活の変化が大きな要因としてあります。それは他人事ではなく、私の父も高齢になり、一緒にやってきた母も、自分たちの代で麹屋を辞める心の準備をしていたのです。室に住み着いて活躍してきた菌ちゃんはどうなるの…。私はそんな思いにかられ、いてもたってもいられませんでした。

  

家族でつなぐ麹

現在の実家には、両親と弟夫婦と3人の子どもたちが同居しています。結婚して実家出た出た私も自由に帰ることができ、いつも暖かく迎えてもらっています。

ただ麹屋の話題になると、父は、「辞めるから後は継がなくていい、口出ししないでくれ」と言い、弟夫婦は別の仕事を持っていたため、麹屋を継ぐことは考えていませんでした。父は私が継ぐ提案も反対。私は時間をかけて辛抱強く、様々な角度から父や弟夫婦を説得し続けましたが、状況は同じ。こうなれば何かあった時のために、一から一人で麹を作れるようになろうと私は仕事を辞め、麹の師匠を探し学びに行ったのです。

父の性格上、知れたら止められるので実家にはもちろん内緒でした。しかしちょうどその頃、「天のガトショ」の前身となるショコラを世に出す準備をしていたタイミングだったので、実家のみんなにもパッケージやデザイン、パンフレット作りなど、ゼロからの企画の楽しさを味わってもらい、麹屋でも活かせる事を知ってもらうことにしたのです。運良く毎日実家に通う状況が重なり、日々家族で語り合いました。そのことがあって弟のお嫁さんが麹屋を継ぐことになったのです。お嫁ちゃんありがとう、心からそう思いました。         

一から学んだ麹作りは、いい意味で私の出る幕はありませんでしたが、

弟夫婦のおかげで、室(むろ)のある麹屋は90年の幕を下ろさずにすみました。

現在は麹作りの傍らで、菓子工房を併設し、自家精米と甘麹を使った菓子を製造販売しています。


室(むろ)で作ったふわふわ麹は、生酵素たっぷり♪

母との甘酒の思い出

小さい頃から母の作る甘酒に目がない私は、学校に行く前に何杯も飲んで行くほど大好物。毎年、春と秋のお彼岸には、遠方からのお遍路さんに大鍋ごと振る舞い、五穀豊穣の収穫祭〝おくんち〟では、町中から麹や甘酒の注文があり、配達によくついて行きました。小学校に上がる前から出来立て甘酒の味見役はいつも私。母は必ず、〝美味しかね?〟と聞くのです。〝お母さん、美味しかよ!〟手作りならではの微妙な甘さの違いや香りを、感じたままに表現して美味しさを伝えると、母は、面白がって安心したように微笑むのです。